R氏の本棚

日々の読書記録

これはディストピアなのか?ー献灯使/多和田葉子

表題作の他に4篇の短編(そのうち1編は戯曲)が収められている。いずれも「2011年の震災後の日本」を共通のモチーフとして、しかし現実に起きたこと起きていることとはまったく異なる世界を描いた作品群、と言えばいいだろうか。

表題作は、大きな災厄(大規模な地殻変動、大地震、むちゃくちゃな気候変動、深刻な環境汚染)に襲われた後の、近未来の日本が舞台である。日本は鎖国をしており、産業構造は大幅に変化し、都市と言えるものは消失し、外来語はほぼ使用されない。老人たちは肉体的には老いていくが頑健で、死ぬことができない。子どもたちは身体が弱く、何かしらの障害があって、老人やそこそこ健康なおとなたちによる慎重なケアが必要だ。しかし学校の教師夜那谷は「今の子供たちを観察していると、自分たちの世代よりずっと進化しているという気がしてならない」。

そんな世界の中で、東京の「西域」に住み曾孫を懸命に世話している老人・義郎と、曾孫である無名を中心にしつつ、義郎の妻鞠華、義郎の回想に登場する娘と孫(=無名の父親)、隣家の娘睡蓮とその保護者、近くの商店の店主たち、等の物語が、行きつ戻りつして語られる。世界設定が明確に示されないまま話が進むので、読むのにはかなり体力が必要だった。主人公は義郎なのだと思うが、むしろ乳児院のような施設に住んで子どもたちを世話している鞠華や、前出の夜那谷、といった人たちのほうが、登場場面が少ないのに印象的だった。義郎が、折々に過去を振り返りつつ現在に帰ってくる役回りなのに対して、このふたりが、「子どもたちを外の世界に送り出す」ことに携わっているからかもしれない。

世界はたしかに大きく壊れているし、義郎のやっていることも苦労といえば苦労で、彼が怒りを爆発させる場面もあるが、登場人物たちが「不幸」かというと不思議にそうも見えない。出口がなく閉塞しているようだけれども、ひたひたと恐怖が寄せてくるというふうでもない。帯には「ディストピア小説」とあって、まあそういうジャンルにはなるのかなとは思うけれど、あまりディストピア感は感じなかった。終盤、「献灯使」として国外に脱出するらしい無名と睡蓮、ふたりの前には「未来」があるのだろうか。

他の短編は、もっと「震災と原発事故」という現実のできごとに寄っている。そのぶん、「現実に起きたこと起きていることとはまったく異なる」部分が目について、それがいちいち気になってしまう。もちろんフィクションなのだから、科学的に正確でなければならないということはないし、事実と異なってはならないということもない。しかしそれにしては、フィクションとしての世界構築が緻密でない感じがして、楽しみきれなかった。原発事故という現実に寄せつつ「ノアの洪水後」のように世界を描く作品としては、たとえば萩尾望都「なのはな」の繊細な切実さのほうが、私には好ましいかった。