R氏の本棚

日々の読書記録

「ケア」の概念を拡張するーケアの倫理とエンパワメント/小川公代

このところ畑違いの本を読むことが続いていて、本書もそのひとつではある。おそらく読みとれていないことがらも多いとは思うが、受け取ることが多かったとも思っているので少し感想を書き留めておく。

「ケア」というと家庭内で家族が行う育児や介護、あるいは医療福祉の場で行われる身体的精神的ケア、というイメージが強いと思う(「キュア」と『ケア」なんてことが言われたりもしていたよね)。しかし本書では、もっと広い社会的あるいは政治的文脈の中で「ケアの倫理」が論じられている。


第一章を読んでいる間は、「多孔的な自己」「カイロス的時間」「ネガティブ・ケイパビリティ」という3つのキイワードが、それぞれの定義を示すことなく繰り返されているため(ネット検索はしてみたが素人がのみこめるような十分かみくだいた説明には行き当たらなかった)、この分野の基礎知識のない身としてはかなり難解に感じ、理解の手がかりがないように思えた。そういう意味では、素人がいきなり読む本ではない、のかもしれない。

それでも、その後に続く各章で、様々な文学作品や、政治学倫理学等の論考をひきつつ展開される議論を読みすすめるうちに、多少の手がかりはつかめたようには思う。何よりもひとつひとつの作品についての分析が魅力的で、読んだことのないものも読みたくなってくる。

自分自身にひきつけてみれば、すぐに結論の出ない曖昧な状態、言わば「宙吊りにされた」状態に耐えることは、医療の場においても必要になる局面があるし、わりきりやすい結論に飛びつくと、えてして間違えてしまう。それは、もっとひろく社会生活においても決して珍しいことではない。また、他者との境界はありつつも開かれた、さまざまなものが出入り可能な柔軟な「自己」というふうに考えると、それも魅力的なものに思われる。他者とどのようにつながる、あるいはかかわるのか、その姿勢あるいは距離のとりかたについての、ひとつの示唆と考えればいいのかなと思う。

一方ここで「ケア」と対比されているのが「正義」であり、「倫理」と対比されているのが「道徳」である。「道徳」が外在的な確固とした社会規範であるのに対し、「倫理」は人と人との間の具体的なできごとに対して、迷いやとまどい、ゆらぎも含みながら実践されるもの、として定義されているようで、「倫理道徳」となんとなくひとまとめに規範性としてとらえていた私にとっては新鮮だった。しかしこのように定義すると、「生命倫理」のような概念はどういう扱いになるのだろうか、という疑問も湧く。社会的な合意、ある程度普遍性を持った(法的規定を含む)決まり事が必要な場面が、とても多いからだ。

そして「ケア」は、家庭内であるいはケア労働として特定のケアラーが担うものではなく、もっと社会的に開けたものとして再定義されていると理解していいのだろう。これはとても興味深い視点だけれど、ではそのような視点から考えるとき、社会経済のシステム、あるいはもっと具体的に医療や福祉、保育や教育のシステムは、どのように展望できるのだろうか。また日本のような、個人の権利という概念が定着していない社会(だからこそ自己責任論がより危険性を発揮しているのではないかと思う)で、「ケア」という視点を強調しすぎることの弊害というものはないだろうか。


わからないことがらも多いながら、いくつか読んでみようかなと思う参考文献もあり刺激的だった。

講談社/2021年